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うつろわぬ日本の美を求めて。うつろわぬ日本の美をコンセプトに、短編連作小説『桜のすべて』を連載。他に小説『薪御能』、『奈良三彩』、『金箔をあかす』、『微笑のあと』も併設。

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| 2010.07.22 Thursday | - | - |

THE 読本 〜月彦の小説〜
00:21

連載13 桜のすべて

第一部    

 

 

暑中お見舞い申し上げます。

いつもご愛読ありがとうございます。

酷暑がつづいておりますが、くれぐれもご自愛のほどお祈り申し上げます。

                             東月彦

 

 

 

     ※

「ですから、アポイントを取っていただかないと・・・・」

 しごく事務的に、女は言う。

「重要なお話なんです」

 執拗にとな瀬が喰いさがる。

 

 

「そう仰言っしゃられましても・・・・」

「お願いです。急いでいるんです」

「でも・・・・」

 汐留にあるテレビ局の受付だった。

 

 

 その午後、とな瀬は、フロラの恋人の極楽寺修一に会うために、その会社を訪れたのだった。

 彼女は先日、フロラが泣きながら修一を追いかける姿を見て、心を痛め、いたたまれなくなったのである。

 

 

「お願いします!」

 その日のとな瀬は、マルニの、スティールグレイの7部丈ワンピースドレスというスタイルだった。着物にするつもりだったが、水商売の女と見間違われては修一に迷惑がかかると思い、洋服にしたのである。

「ですから、日を改めて頂けないでしょうか?・・・・」

 女は頑なだった。

「どうしても駄目ですか?」

 

 

「・・・・はあ。――あっ、課長代理」

 受付の女が、帰社してきた男を認めて言った。

「どうかした?」

 修一本人であった。

「はい。この方が課長代理に面会したいと・・・・」

 

 

「ああ、あなたは・・・・」

「・・・・・」

 とな瀬が会釈した。

 

 

 歌舞伎狂言『仮名手本忠臣蔵』は、お軽勘平の道行にみられる悲劇が有名であるが、もう一つの見せ場が九段目の『山科閑居』であろう。全段中一番の難曲で、一番力のある太夫が語るという。

 

 

 九段目は、桃井若狭助の家老・加古川本蔵と、妻・戸無瀬(となせ)、娘・小浪、そして大星由良之介と、妻・お石、息子・力弥のふたつの家族の悲劇である。

 

 

 力弥と小浪は許婚の間柄であった。

 しかし松の廊下事件以来、密かに討ち入りを画策する由良之介・力弥親子であったが、そうとは知らず、戸無瀬・小浪親娘が山科にやってくる。

 どうしても力弥に嫁ぎたい小浪に、継母の戸無瀬がついて来た格好だ。

 だが、お石に面会を拒絶される。

 

 

一緒にやってきた戸無瀬は、義理とはいえ娘の純粋な思いを叶えさせたい。だが、加古川家を侮辱されたままで夫の名代としても面目がたたないし、簡単にあきらめては後妻だからと思われる。

 

 

お石の方は、妻として母として、二人を死にゆく運命へと導くこととなった本蔵の娘を嫁にはできないという思いがあった。また、死ぬと分かっている力弥の嫁にするのは哀れで諦めさせたいけれども、それを告げることが出来ないでいる。

 

 

本蔵も本心を隠してわざと力弥に討たれ、いまはただ娘の思いをかなえてやりたいと思い、高師直(吉良上野介)邸の図面を渡し、仇討ちの成就を願い死んでいく。

由良之助は本蔵が着ていた袈裟を借りて姿を変え、討ち入りのため関東に下るのであった。

 

 

 こういう風に書くと薄っぺらなドラマになってしまうが、本編はもっと重層で複雑に絡みあった人間関係が、交響曲のように壮大なものなのである。

 

 

 ふたつの家族は、ふたつの側面を抱えながら暮らしていたのである。主君のために生きながら、誰もが父であり、母であり、夫であり、妻であり、子であり、男であり、女だった。親子の絆、夫婦の絆、一途な恋、・・・・すべてがもの悲しく、儚く美しい。

 

 

 時として“公”は、“私”をいとも簡単にひねり潰す。しかし、時として小さな“私”であっても、“公”の根幹を揺るがす力の源泉となることがある。

 いまだ『仮名手本忠臣蔵』が人気があるのは、その辺が起因しているからであろう。

 “私”の集合体が、“公”であるのだから。

 

 

     ※

 そのカフェテリアは、高層ビルの中層階にあった。

「すみません、突然訪問したりして・・・・」

 とな瀬が頭をさげる。

「いえ。それより、何かあったのでしょうか?」

 修一が、アイスコーヒーを一口飲んで訊いた。

 

 

「単刀直入に言いますね」

「はい」

「あなたは、フロラのことをどんな風に考えてらっしゃるのでしょうか?」

「どんな風って言いますと?」

 

 

「フロラは、純粋で一途な娘(こ)です」

「ええ、まあ・・・・」

「お分かりだと思いますが、あの娘は、あなたとの結婚を望んでいます」

「・・・・はあ」

「遊びだとは言いませんが、これからどうされるおつもりかしら・・・・」

「・・・・ええ」

 修一はいまだ煮え切らない様子だった。

 

 

 しばらくの沈黙のあと、彼が口を開いた。

「・・・・あなた、何型ですか?」

「はあ?」

 とな瀬は何のことだか、さっぱり分らない。

 

 

「あっ、ああ、失礼――」

「・・・・ひょっとして血液型かしら?」

「はあ、まあ・・・・」

 

 

「女子高生みたいなことを仰言っしゃるのね」

 とな瀬がふっと嗤う。

「−――」

 修一はムッとしたようだった。

 

 

 とな瀬は、フロラの願いを叶えさせることが、“やり残した”ことだと考えていた。彼女にお節介だと言われたとしても、そうせずにはおれなかったのである。今のままでは、何の進展も見ないだろう。否、悪い方向に行くばかりではないか・・・・。

 その夜遅く、とな瀬が帰宅すると、家の前で、香眞俊作が待っていた。

                             つづく

 


JUGEMテーマ:小説/詩

 

| 2008.08.08 Friday | - | comments(3) |

THE 読本 〜月彦の小説〜
00:25

連載12 桜のすべて

第一部 砧

 

 

 その朝、とな瀬が家事をしていると弟子の美加が訪ねてきた。

尊に頼まれて、信楽焼の花器を取りにきたのだという。

それは表向きの理由で、彼女の意志で来たようだった。

 

 

「とな瀬さん、最近、変わりましたね」

 美加がおもむろに言った。

「そう?」

 とな瀬が訊く。

 

 

「ええ。何か、あったのですか?」

「何かって?」

 とな瀬は、彼女の問いの意味がわからなかった。

 

 

「・・・・何て言うか、・・・・お洋服で展覧会に来たり、それも花屋さんとご一緒だったり。――いえ、着物じゃないとダメっていうことじゃなくて」

 美加は言いにくそうだった。

「・・・・・」

 

 

「いつものとな瀬さんらしく、ありませんでした」

「・・・・そう、・・・・ね」

 とな瀬は、彼女に心情を見透かされているようで、赤面しそうになった。

「全然らしくないです・・・・」

「・・・・・」

「ごめんなさい。好きなように言っちゃって」

 

 

「私、ちゃらちゃらしてた?」

「――いえ、そういう意味じゃなくて・・・・」

「いいのよ。そう思われても仕方ないもの」

「・・・・とな瀬さん」

 

 

「どうかしてたのよ、私」

 とな瀬はこれまでの顛末を、彼女にすべて喋ってしまいたかったが、つまらない心配をさせたくなかったので、黙っていた。

「・・・・そうですか」

「目が覚めたような思いだわ」

 美加に指摘されて、彼女は本当に覚醒した気持になっていた。

 

 

「・・・・こういうの告げ口みたいで、本当は嫌なんですけど、――思い切って言います」

「ええ?」

「あたし、見ちゃったんです」

「何を?」

 

 

「先生が、・・・・そのう」

「何よ、言いなさい」

「・・・・先生が生徒さんと、ホテルから出てくるのを」

「えっ?」

 

 

「それも一回だけじゃないんです」

「・・・・」

 とな瀬は結婚当初から、いつかそんな事態になるのではないか、という思いが心の片隅にずっとあった。なぜなら、夫は女ばかりの世界にいたからで、これまである程度見て見ぬふりをしてきたのである。

 

 

「本当は言いたくなかったんです・・・・」

「ううん、いいのよ」

 美加は嘘を言うような娘(こ)ではないことを、とな瀬が一番知っていた。

「・・・・本当に言いたくないんです。まして自分のお師匠さんですから」

 

 

「ごめんね。よく言ってくれたわ」

 とな瀬は今、尊が浮気しているのを聞いて動揺することもなく、ひどく冷静な自分自身に驚いている。

 人間は自分の内で何かが壊れると、それを修復するかのように新たな思考が生まれてくるものなのだ。人によって多少の時間の誤差があったとしても。これまでの経緯が、彼女をそのように変えてしまったのだろう。

 それにしても、ずっと信じて慕いつづけてきたのに、尊の裏切り行為を許せそうになかった。

 

 

「・・・・あたし」

 思いあぐねた様子で、美加が言う。

「ええ?」

 とな瀬が訊く。

「もう辞めようかと思ってるんです」

「何を?」

「・・・・お花」

 美加は、どろどろした人間模様を見て、何もかもが嫌になったようだった。

 

 

「――馬鹿なこと言わないで!」

 潔癖症の美加らしい考えだ、ととな瀬は思う。

「・・・・でも」

「あんな人でも、いけばなの才能については、あなた自身が一番よく知っているでしょう?」

「・・・・はあ」

 

 

「辞めるのは、いつだって出来るわ。これまでの年月がすべて無駄になるのよ」

 美加は大学を中退して、子弟になり、今年三年目をむかえる。

「そうですけど・・・・」

「まだまだ、あの人から吸収すべきことが一杯あるはずよ」

「・・・・ええ」

「もう少し様子を見てからでも遅くないわ」

「・・・・・」

「がんばって」

 

 

「・・・・はあ」

「本当にがんばるのよ」

「はい。・・・・とな瀬さん」

「うん?」

 

 

「何でそんなに強いんですか?」

「強かないわよ」

「ううん、そんなことないです」

「・・・・強いて言えば、臍(ほぞ)を固めたから」

「はあ?」

 

 

「・・・・・」

とな瀬は深く傷ついていたが、新たな決意に突き動かされようとしていた。

                         つづく

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JUGEMテーマ:小説/詩

| 2008.08.01 Friday | - | comments(0) |

THE 読本 〜月彦の小説〜
01:17
連載11 桜のすべて
第一部 砧


 ――・・・・私は一体、何をやっているのだろう。
 とな瀬は今、青山にあるカフェのオープン席にいた。
 時刻はすでに夕刻で、246を家路に急ぐサラリーマンやOLの姿が見える。


 その日、彼女は家に一人でいるのが嫌で、ふらふら当てもなく、東京の街を彷徨っていたのである。
 先日の『現代いけばな展』に、香眞に誘われるまま行ったことや、食事したことに対して、ひどく後悔していた。
 それにしたって、尊に嫉妬心を起こさせようとしての行動であって、その後、夫は別段変わった様子を見せることはなかったのである。


 このまま彼の言うとおりにすれば、どんどんエスカレートするのではないか、と彼女は心懸かりになっている。
 ――・・・・別れようか。
「・・・・・」
 とな瀬は言い知れぬ不安にさいなまれる。
 彼女は五年もの間、専業主婦をやっていたので、世間とのズレを感じていたし、私生活全般を夫に依存し過ぎていたのである。


 ――・・・・いけばなを続けるべきだった。
 とな瀬の母親は、他流派の師範だった。今も現役で、横浜の自宅で数名の生徒に、華道を教えている。
 彼女は幼い頃から母に、いけばなを教え込まれていたが、その流派の型にはまったやり方に、成長するにつれ疑問を持つようになっていた。
 そんな時、銀座のデパートで、尊の作品を観、一瞬にして心を奪われた。
 それは目から鱗が落ちるような感覚で、既成の枠におさまらない自由奔放なものだったからである。
 そして、すぐに彼の教室に通うようになったのだった。


 携帯電話が鳴っている。
 液晶画面を見ると、香眞からだった。
「・・・・・」
 最近、毎日のように電話があり、そのたびに誘われるが、いつも丁重に断っている。
 とな瀬は出ないでおこうと決めた。


 彼女が何気なく通りを見ると、見知った男が店の前を横切ろうとしているところだった。
 ――・・・・あれは確か。
 フロラの恋人の極楽寺修一だった。
 修一は、彼女に連れられて二度ほど家に遊びに来たことがあったのである。


 それからすぐに、彼のあとを、泣きながらフロラが追う姿が見えた。
 ――えっ?
 とな瀬は、胸をしめつけられる思いがした。


「フロラちゃん!」
 とな瀬が呼ぶ。
「!」
 ふり向いた彼女は吃驚した顔になり、何も言えないでいる。


「どうしたの?」
 とな瀬が訊いてみた。
「・・・・・」
 フロラは何も答えず、微苦笑を浮かべ、修一のあとを追った。
「――フロラちゃん!」
 その夜、とな瀬は彼女の携帯に電話したが、出ることはなかった。


    ※
 ――いけばなとは何だ?
 一説によれば、聖徳太子が、いけばなの始祖だという。
なぜなら、太子のお陰で仏教が入ってきて、仏前に供花するようになったからだ。
そこに美を見出したのが、日本人に他ならない。


「・・・・ああ、いいわ」
 今、彼の下で伊沙子が恍惚とした表情を浮かべ、荒い息遣いをしている。
「・・・・・」
 尊は、『現代いけばな展』で評価を得たのにもかかわらず、ひどく不機嫌だった。
 いつもの品川のホテルだった。


――花は、花ではないか。
しかしながら、それを”いける”ことによって、また花は新たな側面を見せる。
あるがままの自然の美を壊すことなく、人の手を加えることによって、新たな美を創造することが、”いけばな”なのだ。


「・・・・ちょ、ちょっと」
 伊沙子が驚いた表情で、尊を見る。
「・・・・・」
 彼は気づかない。
「――ねえ!」
「・・・・うん?」


「どうしちゃったの?今日・・・・」
「何が?」
「ひどく乱暴だわ」
「そう?たまには趣向を変えるのもいいんじゃないか」
 尊は投げやりに言う。


「痛いわよ」
「・・・・・」
 彼は、伊沙子の言葉を聞いてはいなかった。


 ――どっちみち、おれの方がとな瀬より先に逝くに決まっている。おれ亡きあと、男が必要になるではないか・・・・。三十も歳が違うのだから。人生は長いのだ。
 そうであるのなら、今から免疫を作ってやるべきなのだ、と尊は考えていた。
 それは彼の勝手な倫理に他ならなかったが・・・・。
 花の命は短い。


「い、痛いわよ!無茶しないで頂戴」
「・・・・・」
 尊は、彼女の言葉を無視する。
「ねえ、もっと優しくして。お願いだから」
「・・・・・」


 とな瀬は、香眞と逢うようになって、きれいになった、と尊は思っている。
 自分の妻が美しくなるのを、嫌な男などいないだろう。
 ――しかし、この感情は何だ?・・・・嫉妬か?
「・・・・あっ!」
 次の瞬間、尊は呆気なく果てた。


「――えーっ?」
 伊沙子が悲鳴のような声をあげる。
「・・・・ああ」
 尊は呆けたような吐息を洩らす。


「う、嘘でしょう?」
「・・・・・」
「嫌よ、嫌!」
 伊沙子は身悶えしている。
「・・・・すまない」
 ぼそっと尊が詫びた。


「ひどいわ。・・・・ああ、何てこと」
「・・・・・」
 尊は、彼女の躰から離れた。
 伊沙子が恨めしそうな眸で、彼を睨んでいる。
 花は死に、花は咲く。
                            つづく






JUGEMテーマ:小説/詩



| 2008.07.25 Friday | - | comments(0) |

THE 読本 〜月彦の小説〜
01:26
連載10 桜のすべて
第一部 砧


 日本橋のデパートで催された『現代いけばな展』は大盛況であった。
 それは、現代を代表する各流派の家元が作品を出展していて、流派ごとの様式にのっとったものや、定型にとらわれず自由にいけられた花々だったのである。


 尊も作品を出していて、花器にいけられた大ぶりの芭蕉の葉と、ピンクの孔雀サボテンの花が音楽を奏でている。
 コンセプトは、“無常”と“情熱”だという。
 先駆的なファインアートといえる、“自由花”だった。


 前衛という言葉は、すでに死語である。
 マイルスが死んで、ジャズがBGMになったように。


 尊の作品は、謡曲『芭蕉』からイメージを得、曲中に漂う無常観を芭蕉の葉で、大輪のサボテンの花で、中南米のようなぎらぎらした熱情を表現していた。
 才能は、生き様を凌駕する。


 謡曲『芭蕉』は、中国に住むある僧侶のもとに、中年女が訪ねてきて、仏縁に結ばれることを願う。
 実はその女は芭蕉の精で、僧の御法を受け、草木成仏の喜びの舞を舞い、消え去ってゆくのだった。
 そして、その僧侶の庵のそばには、月光を浴び、雪が積もった破れ芭蕉が残されていた、というものである。
 能そのものといった、幽玄な構成である。


 尊が作品の前で来賓と挨拶を交わしている時、にぎやかな二人連れの女がやって来る。
 生徒の内海伊沙子と野口幸枝だった。
 二人は会場の厳粛なムードなど気にする風でもなく、また真摯に他の作品を鑑賞するでもなく、ぺちゃくちゃお喋りをつづけている。


「・・・・・」
 手伝いに来ていた弟子の大山美加が、ちらっと彼女らを見る。
 彼女は、二人が尊と関係があるのを薄々感づいていた。


「先生、このたびはおめでとうございます」
 伊沙子が会釈する。
「おめでとうございます。ご盛況ですわね」
 幸枝は、伊沙子と同世代で、やはり有閑マダム然として、傍若無人な雰囲気を裡から発していた。


「・・・・・」
 この人たちは本当に、いけばなを愛しているのだろうか、と美加は思う。
 女の敵は、女である。決して、男ではないはずだ。


「やあ、お二人、お揃いで。どうもありがとう」
 尊が微笑む。
「まあ、すばらしいわね」
 尊の作品を観て、伊沙子が言う。
「ホントね。これまでの先生の作風とちょっと違うわ」
 幸枝が答える。
「そう。何て言えば、いいのかしら・・・・」
「渋いって感じね」


「そう、そう。その表現がぴったりだわ」
「でしょう?」
「・・・・・」
 尊はただ、にこにこ微笑するだけだった。


「先生、少し作品の解説をしてくださらないかしら?」
 伊沙子が訊いた。
「そうよね。お願いします」
 幸枝が言う。


「・・・・・」
 美加は真実、白けていた。
「ああ。自分の作品のことを述べるのはあまり得意じゃないんだけど、・・・・謡曲からヒントを得てね」
 尊がぽつりぽつりと語りはじめる。


「――あっ!」
 その時、美加が声にならない声で叫ぶ。
 尊たちには、気づかれてはいないようだった。
 彼女が声を上げた理由は、今、とな瀬と香眞が寄り添うように、入場してきたからである。


 とな瀬はいつもの着物姿ではなく、シーバイクロエの、黒のミニのワンピースというスタイルだった。
 それは、渋谷で暇を持てあます少女のようなファッションだったし、化粧も濃く、ラメの入ったアイ・シャドウーをつけていたのである。


「―――」
 美加は困惑している。
「よう!」
 香眞が手を上げた。
「おお、来たか」
 尊が答える。
「・・・・・」
 香眞の背後で、とな瀬が恥ずかしそうに、皆に頭を下げる。
 まるで二人は夫婦のように見えた。


「・・・・・」
 美加は、それぞれの“業”を垣間見た気持ちになり、深い溜め息をついた。
                               つづく









JUGEMテーマ:小説/詩



| 2008.07.18 Friday | - | comments(0) |

THE 読本 〜月彦の小説〜
00:46
連載9 桜のすべて
第一部 砧


    花筐(はながたみ)
 とな瀬は、ヴィシソワーズを一口啜った。
 香眞は、冷製コンソメを食している。
 飯倉にあるフランス料理店だった。


 メインは、香眞が仔羊のデビルソースを、とな瀬はオマール・ブルトン海老のポワレを注文している。
 その夜の彼女は、淡いクリーム地に縞の越後上布に、帯は絣柄の藤という装いだった。
 上布は色白のとな瀬に映え、その美貌をより際立たせている。


 香眞は、ロゼのシャンパンを一口飲み、
「すみません」
「何がですか?」
 とな瀬が訊く。


「こんな平凡なデートしか思いつかなくて・・・・」
「・・・・デート?」
「ええ」
「・・・・・」
 やはり、これはデートなんだ、ととな瀬は改めて思った。


 香眞はあくまで紳士的だった。
 恋愛は、不安を取り除く作業の連続である。


「今夜のこと、夫はどんな風に言ったのでしょうか?」
「いえ、特に」
「・・・・そうですか」
 とな瀬は落胆した。
 何か言葉があっても、いいはずだ。しかし、それがどんなものであればいいのか分からなかった。


「美味いものをご馳走してやってくれ、と」
「それだけ、・・・・ですか?」
「はい」
「・・・・そう」


「好きです」
 気の利いた科白やお世辞の一言もなく、無骨に香眞は言った。
「はっ?」
「初めてお逢いした時から、好きだったんです」
「・・・・・」


「分かってください。あたしは本気です」
「・・・・香眞さん」
「はい?」
「私がどういう立場か、ご存知ですよね?」
「はい」


「これから、どうなさる、おつもり?」
「――それは・・・・」
「はっきり仰言っしゃってください」
「・・・・はあ」
「月に一度か二度、こうして食事するだけでいいのかしら?」
 とな瀬は今、無性に彼を苛めたい心境になっている。


「は、はい。もしよろしければ・・・・」
「茶飲み友だちみたいなものね、あっははは」
 とな瀬は哄笑を漏らす。


「・・・・・」
「それとも・・・・」
 とな瀬は意地悪く微笑む。
「はい?」
「それとも、それ以上をお望みかしら?」
「そ、それは――」
 男の最大の欠点は、女のちょっとした素振りや言葉で自分に気があると錯覚することである。
 それは大いなる誤謬である。


 長い沈黙のあと、とな瀬が口を開いた。
「私ね・・・・」
「はあ?」
「私、近頃、蛯沢と別れることばかり考えているんです」
「――えーっ!」
「何か、もう嫌になってきて・・・・。疲れちゃいました」


「・・・・あ、あたしのせいでしょうか?」
「・・・・・」
 とな瀬は何も答えなかった。
「やっぱり。――やっぱり、そうですよね」


「・・・・・」
 今、とな瀬には、別の思惑が芽生えつつあった。
 ――・・・・男など、簡単なものではないか。
 香眞は、額に噴き上がった汗を必死に拭っている。


「香眞さん」
 とな瀬は濡れた眸で、彼をじっと見た。
「は、はい?」
「また、ご一緒してくださる?」
「えっ?――よろしいのでしょうか?」
「ええ」
 とな瀬が、妖しげな微笑を、片頬に浮かべる。
 その深夜、彼女は尊と激しい口論になった。
                            つづく









JUGEMテーマ:小説/詩



| 2008.07.11 Friday | - | comments(0) |

THE 読本 〜月彦の小説〜
01:23
連載8 桜のすべて
第一部 砧


 とな瀬は、キッチンで忙しなく動き回っていた。
 その夜、尊の弟子の大山美加の誕生会が行われることになっていて、その準備のために立ち働いていたのである。


 美加は先週、二十二になった。
 尊には弟子が六人いて、他にもアシスタントが四名いたのである。


 誕生会は、蛯沢の家では恒例になっていた。
 尊はどこかのレストランか、料理屋でやろうといつも言うが、とな瀬はいくら忙しくてもそれだけは譲らなかったのである。


 弟子とはいえ、日々、夫を助けてくれている若者に、せめて年に一度だけでも慰労を兼ねて、手料理でもてなしたいと彼女は考えていたのである。
 尊にせよ、弟子たちにせよ、それぞれが、いけばなの美の虜になっている。


「とな瀬さん・・・・」
 美加が呼んだ。
「ええ?」
 とな瀬はサラダを作る手をとめて、美加を見る。
 彼女はその若さで、“おかみさん”や“奥さん”と呼ばれることを拒絶していた。
「もう、お花、全然やってないんですか?」


「やってないわね。どうして?」
「勿体ないじゃないですか。あれだけ長くやっておられたのに・・・・」
「・・・・そうね」
 とな瀬は、尊の生徒の一人だった。大学時代を含めると、七年習っていたことになる。
「もう、やる気ないんですか?」
「・・・・そうねえ。私がいけると、あの人、横から口うるさいのよ」


「ははん、そりゃあ、先生の嫉妬ですね」
 もう一人の弟子の早川太郎が言う。
「そうかしら。そうじゃないと思うけど・・・・」
「きっと、そうですよ」
「・・・・・」
 事実、とな瀬のいけばなのセンスは群を抜いていた。
 将来を嘱望されていたのであるが、尊にプロポーズされて、そのまま家庭に入ってしまったのである。


 ボリスの甘えた鳴声が聞こえる。
「あっ、帰ってきたわ」
 とな瀬が言った。
 その言葉が終わる前に、尊がキッチンに入って来た。


「おう、帰ったぞ」
「お帰りなさい」
 キッチンにいた、それぞれが言った。


「先生、今日は無礼講ですよね?」
 太郎が嬉しそうに訊く。
「ああ、どんどんやれ。ただし・・・・」
 尊が神妙な顔で言う。


「はい?」
「『現代いけばな展』のことだけは忘れるなよ」
 一ヵ月後に、日本橋のデパートで、現代を代表するいけばな作家が一同に介し、大々的な展覧会が催されることになっていたのである。
 勿論、尊も招待されていた。


 ボリスの吠える声が聞こえる。
 来客のようだ。
「ああ、おれが出るよ」
 尊が言った。
「お願いね」
 とな瀬が答える。


 しばらくして胡蝶蘭を抱えた香眞と尊が、談笑しながら戻ってきた。
「―――」
 とな瀬は驚いて、挨拶もろくに出来なかった。


     ※
 ――私はなぜ、この男を好きになったのだろう・・・・。
 フロラは紅茶を飲みながら、ポータルサイトのニュースをチェックする修一を一瞥する。
 学芸大学にある彼女の部屋だった。


 彼女は面輪が小さく、くりくりとした大きな眸があったので、実年齢より若く見えた。
 顔立ちは亡母似といえる。


「また、溜め息かい?」
 にっと笑って、修一が言う。
「ついてないわ」
 フロラが静かに反論する。


「後悔ばかりしているA型さん」
 彼女の心情を見透かしたように、修一がつづける。
「・・・・何よ」
 フロラの血液型はA型だった。
「日本人が情緒的といわれるのは、きみのようにA型の人間が全体の四割以上を占めるからだろうね、きっと」
 修一はB型だった。


「あのね、それって、ブラッド・ハラスメントよ」
「ハラスメント?――ふん!」
「だって、そうじゃない」
「何でもかんでもハラスメントなんだね。差別用語が終わったと思ったら、次はハラスメントか?ご丁寧なことだ」
「・・・・・」


「僕は占いってものを全く信じないが、AOB/RH式の分類には一目置いてるんだよ」
「・・・・・」
「すべての人間に当てはまるとは思わないが、あれはあれで、ある程度の性格や性癖が分かる」
「・・・・勝手ね」
「勝手かな?僕は生きてゆく智恵だと思っているけどね」


「B型の勝手な論理よ」
「そうかな、人間関係をスムーズにさせるツールだよ」
「凝り性のB型の思いつきそうなことだわ」


「・・・・・」
 修一はまた、鼻を鳴らした。
「・・・・・」
 フロラは溜め息をつく。
 近年では、急激にB型が増えているという。
                             つづく











JUGEMテーマ:読書



| 2008.07.06 Sunday | - | comments(0) |

THE 読本 〜月彦の小説〜
01:36
連載7 桜のすべて
第一部 砧


 フロラはデートのたびに、極楽寺修一(ごくらくじおさむ)の背中ばかり見ているような気がする。
 肩を並べることは皆無で、せっかちな彼はいつも先を先を歩くのだった。
 その日は六本木に新しくできた美術館で、大正から昭和にかけて人気のあった日本画家『鏑木清方展』が催されていて、二人で出かけたのである。


 清方の代表作である『築地明石町』、『道成寺鷺娘』や『一葉女史の墓』が展示されていて、修一は彼女に話しかけることもなく、淡々と美人画を観賞している。
 フロラも彼の後を追うように、見て回っていた。
 毎度こんなデートだったのである。


 しかし、フロラは清方の作品を観、ほのぼのとした心持ちになっていて、静かな時間が流れていたのである。
 修一が屏風絵の前で立ち止まり、難しい顔をしてじっと見つめている。
「・・・・?」
 不思議に感じたフロラは、その屏風を覗き込む。


 六曲半双の屏風には、山間の渓谷に黄金色の深い霧がかかり、エメラルド・グリーン色の岩がむき出しになっている。
 川の流れは、あくまで透明で、清い。


 その大きな岩に、濡れた長い黒髪もそのままに、乳房を隠そうともせず、裸の女が横たわっている。
 よく見ると、女の下半身には金色の鱗があって、川面から尾鰭が少しだけ覗いている。
 人魚なのである。


 人魚の表情は無機的で、何を考えているのか、まったく理解できない。それに、その視線が、まるで腐った魚のようで、どこを見ているのかさえ分からない。その強い眼差しは、他の清方の作品には無いものである。


「―――」
 フロラは、その作品を観て、鳥肌が立った。美人画の展覧会なので、そのような怪異な絵画が展示してあるとは夢にも思わず、不意をつかれた感じであった。
 題名を見ると、『妖魚』となっている。


「気味が悪いわ」
 フロラがぽつんと言った。
 『妖魚』は怖い絵である。見つめていると引き込まれそうになる。
 彼女の内で、人魚のイメージが一変した。人魚伝説が持つ淡く、感傷的で、ロマンティックな物語は粉々に砕け散ったのである。


 修一は鼻をふんと鳴らして、
「・・・・きみには分からないだろうね」
 彼は、その屏風絵を傑作だと思っている。
 『妖魚』は決して、健康的な絵画ではない。欧州的なデカダンスな美でもない。それは、日本固有のものではないか。法隆寺の救世観音や、鶴屋南北の作品群にみられる美に通じるものではないか。


 清方の師の師である浮世絵師・月岡芳年を思うとき、修一は『妖魚』も、彼の代表作のひとつではないかという思いを強くしていた。
 江戸幕末から明治初期に活躍した芳年は、『英名二十八衆句』や『新形三十六怪撰』にみられる、忌まわしい”血みどろ絵”を多数描いたのである。


「その言い方はよしてって言ってるじゃないの・・・・」
 フロラは溜め息をつく。
「・・・・・」
 修一はまた鼻を鳴らした。
 彼は『妖魚』のように妖しげで、美しく、怪異な作品をもっと観たいという感情を強くしていた。が、それ以後、清方はおぞましい作品を描いてはいない。芳年の頃と違って、時代がそのような作品を求めなくなったのかもしれない・・・・。


「・・・・・」
 フロラはまた、深い吐息をついた。
 修一は気難しい男である。
 いわゆる良家の出で、曽祖父は外交官、祖父は外科医、父親は弁護士だった。
 小田急線沿線の高級住宅地にある大学を出、汐留にあるテレビ局に勤務している。
 報道でも制作でもなく、総務部だったが・・・・。


 ただ、歌舞伎と美術の造詣はやたら深く、評論家顔負けの持論を持っていたのである。
 二人は、あるパーティーで出逢った。
 フロラは、マーケティングやセールスプロモーションの話しかしない会社人間には辟易していたので、修一は新鮮だったのである。


 年齢は十八も違う。
 フロラは、尊ととな瀬夫婦の幸せそうな姿を見て、影響を受けたのかも知れない。
 修一も、彼女も、一度も結婚したことがなかった。
 しかし、彼は尊のことを成り上がりの華道家としか見ていないようだった。


「・・・・・」
 修一はそれ以上何も言わず、ぷいと次の作品に向かう。
「!」
 フロラの眦に翳りがはしる。
 彼女はまた、修一のあとを追った。
                               つづく









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| 2008.06.26 Thursday | 日本画 | comments(0) |

THE 読本 〜月彦の小説〜
00:58
連載6 桜のすべて
第一部 砧


 尊が窓外をぼんやり見つめている。
 そこからは品川駅が見え、新幹線がひっきりなしにホームに滑り込んで来ては、出て行った。
 伊沙子はベッドで寝そべっている。ローマ神話の女神みたいに、真っ白いシーツを躰に巻きつけて。
 ホテルの一室だった。


「・・・・ねえ」
 伊沙子がぽつんと言った。
「うん?」
 尊が訊く。


「結婚して」
「えっ?」
「結婚して頂戴」
「・・・・・」
「何か言いなさいよ」
「・・・・きみは」


「ええ?」
「最近、ルール違反ばかりしている」
「人生なんて、ルール通り行かないものよ」
「それじゃあ、秩序が保てない」
「おっほほほ。笑わせてくださるのね、不倫に秩序なんてあるのかしら」
「・・・・・」


「あなた知ってるでしょう?」
「何を・・・・」
「私の家がもう駄目だってこと・・・・」
「・・・・・」
 伊沙子の夫は今、ミラノに単身赴任中で、日本製のオートバイを売っている。
 彼は現地で雇用したイタリア人秘書と関係ができ、休暇になっても帰国しないという。


「もう秒読みに入ったのよ」
「秒読み?」
「離婚」
「・・・・あーあ」


「どう足掻いたって駄目なのよ。今さら、足掻く気もないけど・・・・」
 伊沙子の細い頬に、翳りが浮かぶ。
「何で向こうに行かないんだい?」
 尊が訊いてみた。


「それは子供の教育のためよ」
「・・・・ふーん」
「そんなことより・・・・」
「うん?」


「こっちにいらっしゃいよ」
 伊沙子が妖艶な微笑を浮かべる。
「・・・・・」
 尊は頸を左右にふる。
「大丈夫よ」
「・・・・無理だよ」


「いいから、いらっしゃいよ」
「無理だって。もう若くないさ・・・・」
「ごちゃごちゃ言わないの」
「・・・・先に言っとくけど」
「ええ?」
「きみとは結婚できないよ」


「いいから。――さあ!」
「・・・・・」
 この女からは逃れられそうにないなと尊はふっと感じ、渋々ベッドに行った。


    ※
 その朝、香眞は東京都中央卸市場・世田谷市場花卉部を目指して、軽トラックを運転していた。
 花を仕入れるためである。
 世田谷市場は、砧公園に隣接している。


「社長、いつも思うんですけど・・・・」
 助手席の三田村浩子が言う。
 彼女は花香の従業員で、華道家の卵だった。
「ああ?」
 香眞がちらっと彼女を見る。


「どうして毎日、こんな細道から行くんですか?」
 トラックは用賀の駅前の、曲がりくねった道を駈けていたのである。
「・・・・・」
 香眞は言葉に詰まった。


「246から、環八に行けば、すぐじゃないですか?」
 二十一歳の浩子は、思った疑問をすぐに口にする。
「・・・・この時間は混んでるだろう」
「都心から反対方向だから、平日のこの時間じゃ問題ないですよ。いつも不思議なんですよねえ」
「・・・・・」
 香眞が駅前の細い道路を行くのは、この街に住むとな瀬に逢えるかもしれないという淡い期待があるからだ。


「こんなとこで事故でも起こしちゃ大変ですよ」
「・・・・もうすぐだから」
「変なの」
「・・・・・」
 香眞は、運転もそぞろに道行く人々をちらちら見ていた。
                             つづく


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| 2008.06.20 Friday | - | comments(0) |

THE 読本 〜月彦の小説〜
00:45
連載5 桜のすべて
第一部 砧


   悪の華
「躰の調子悪いの?」
 蛯沢フロラは、カシスのシャーベットを食べながら訊いた。 
「どうして?」
 とな瀬がティ−カップを置いて、彼女を見る。
 二人は銀座にあるパーラーにいた。


「ひどく顔色が悪いわ」
 フロラは、尊と前妻の間にできた娘だった。
 彼女の実母は七年前、急性硬膜下血腫によって逝去していたのである。
「・・・・そう?大丈夫よ」
 二人は義理の親娘になるが、年齢はとな瀬の方が一歳上で、仲の良い友人のようだった。
 だから、月に一、二度は食事をしたりして、会っていたのである。
 フロラは今、実家を出て、東横線の学芸大学に部屋を借りている。


「それならいいんだけど・・・・」
 フロラは、ローマ神話に登場する花と春と豊穣を司る女神のことである。
 一説によると、ギリシャの妖精だったが、風神ゼピュロスによってイタリアに連れて来られ、以後花の女神になったらしい。
 フロラは、触れた女が自然に子供を身籠もる魔法の花を与えるという。
 父親の尊が名付けた。


「・・・・・」
 いくら仲が良いとはいえ、とな瀬はウーマン・シェアのことなど言える訳がない。
「お父さんとうまく行ってる?」
 フロラは、イヴァナ・オマジックの、白いシルクのシャンタン・スーツを着ていた。かちっとした男仕立てのようなジャケットであったが、スカートにはプリンセスラインがあって、上品で女らしさを表現している。
 彼女は、赤坂見附にある洋酒メーカーの宣伝部に勤務している。


「・・・・ええ、まあ」
 とな瀬は、砧公園で喧嘩して以来、尊とはまともに会話していなかった。
「ちょっと間があったわね」
「――そ、そんなことないわ」
「冗談よ、冗談」


「・・・・・」
 その日のとな瀬は、生成に薄墨の矢絣柄の着物に、白地に古典的な手毬模様の夏物袋帯という装いだった。着物にはしゃり感があり、帯は涼しげで愛らしかった。
「冗談って言ってるじゃない」
「・・・・実はね」
「ええ?」


「実は・・・・」
 とな瀬は思い切って、これまでの経緯をフロラに話すことにした。


 脚本家の早坂暁氏の小説『華日記』(新潮社刊・絶版)によれば、池坊は花界ではまぎれもない指導的な流派である、と。いけばなは池坊に端を発し、五百年の歴史を持ち、華道そのものであるという。全国に小原流、草月流、未生流、古流、安達式と、数千という流派があるが、ことごとく池坊から発して独立したものであるらしい。


 その小説のサブタイトルが『――昭和生け花戦国史』といい、戦後、池坊から独立した諸流派が門弟獲得のためにしのぎを削り、血みどろの戦いを繰り広げる様を描いた、いわゆる内幕もの(フィクション2割、ノンフィクション8割らしい)である。
 氏が脚本家になる前に、業界誌の記者をしておられ、取材を通して得た人脈によって、描かれたそうである。


 当時、戦後の復興とともに、世はまさに空前のいけばなブームになり、花を介してどろどろした人間模様が実名で語られている。
 確実にいえることは、登場人物のすべてが花の美にとり憑かれ、花の美によって力を得、花の美に滅ぼされようとしているということである。


 もっとも印象に残った言葉は、前衛華道家の重森三玲が、茶の湯は政治そのものである、と。茶道はその時々の権力者に付き従うように発展してきた。だが、いけばなは常に、為政者から少し離れた場所にあって、仏前の供花からはじまり、むしろ人間から逃避している世界のものである、と。


 いけばなこそ、純粋な日本特有の美なのである。


「ふーん、そんなこと言ったんだ・・・・」
 フロラはさして驚くでもなく、淡々と聞いていた。
「ええ」
 困惑した表情で、とな瀬は答える。


「気にすることないんじゃないの。――ウーマン・シェアって、相変わらず大袈裟ね。香眞のおじさんが離婚して寂しそうだから、相手してやれってことじゃないのかなあ」
「・・・・そうかしら」
「そうよ。あまり深く考えないで、美味しいものでも、ごちになって来れば・・・・」
「・・・・・」


「あのへんは、たんまり持ってるから、豪勢なものをリクエストして、付き合ってやればいいのよ」
「・・・・でも」
「気にしない、気にしない」
「・・・・だけど」


「あなた、壮年男性にもてるのね。一度ご教示してもらいたいわ」
「よして頂戴、その言い方」
「ごめん、ごめん。でも、あなた、考えすぎよ。古いフランスの映画じゃないんだから・・・・」
「・・・・・」
 とな瀬は、フロラのようにノー天気にはなれなかった。
                              つづく

※参考文献『華日記――昭和生け花戦国史』 早坂暁著(新潮社刊・絶版)









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| 2008.06.13 Friday | - | comments(0) |

THE 読本 〜月彦の小説〜
02:33
連載4 桜のすべて
第一部 砧


「いやよ、――絶対にいや!」
 内海伊沙子は、叫ぶように言った。
「そう言われてもなあ・・・・」
 尊は溜め息をつく。


「こんな形で、さよならなんて絶対にいやだわ!」
 いつしか、彼女の声は涙声になっていた。
「潮時だと思うよ。それに、こういうのは、ルール違反じゃないのかな?」
 その午後、伊沙子から突然携帯に電話があり、自宅の近くまで来ているから逢いたいといってきたのである。
 幸いとな瀬は買い物に出かけて不在だったので、尊は仕方なく逢うことにしたのである。
 二人は、環八に面したファミレスにいた。


「こうでもしなければ、逢ってくれないでしょ?」
「教室でいつでも逢えるじゃないか」
 尊は東急・二子玉川というところで、いけばな教室を開いている。
 彼女はその生徒の一人だった。
 生徒の大半は女性で、主婦かOLだったのである。


 二子玉川には、ショッピングセンター的な大きなデパートがあり、しゃれた店も多く、新玉川線、田園都市線や大井町線界隈に住む、日本語でいうところの、新興セレブリティが集まる場所でもあった。
伊沙子はたまプラーザに住み、夫は商社マンで現在ミラノに赴任しているという。


「教室で話なんて出来る訳ないでしょう!他の生徒さんもいるのに」
 彼女は三十五歳で、小学校二年生の娘がいた。
「そうかなあ・・・・」
「当たり前でしょう。じゃあ、みんなの前で私たちのこと、喋っちゃっていいの?」
 その日の伊沙子は、ボッテガ・ヴェネタの、コットンポプリンのシャツドレスにサンダルというスタイルだった。ひざ上のフレアスカートは、鮮やかなレインボーカラーで、リュクスでエレガントなファッションだったのである。


「いいよ」
 尊は素っ気なく言う。
 人間は年齢を重ね、経験を積むことによって、矜持が高くなる。
 ――・・・・世の男のすべてが、きみのわがままを素直に聞いてくれる訳じゃない。


 女の最大の欠点は、一度愛を告白されると、生涯慕いつづけて欲しいと願うことだ。
 それは大いなる過誤である。


「――本気なの?本当に暴露しちゃっていいの?」
「平気だよ」
「よくって?」


 尊がこくんと頷いて、
「・・・・お互い、刺激し合ったんだから」
 お互いに楽しんだんだからと言おうとしたが、あまりに露骨過ぎたので咄嗟に言葉を変えた。
「よく言うわね」
「とても大切で貴重な時間だったじゃないか」


「いいわ、わかったわ。みんなに言いふらしてやるから」
 伊沙子は出産してから異様に痩せたらしい。現在は身長は167センチで、体重は45キロしかないという。友人からは羨ましがられるが、顔が痩せた分、皺が増えたといつも嘆いていた。
「・・・・・」
 この女を香眞に譲ろうか、と尊はふっと考える。


 彼の携帯電話が鳴っている。
「出ないの?」
 伊沙子が訊く。
「いいの?」
 尊が逆に訊いた。
「出なさいよ」
 命令口調で伊沙子が言った。


 尊が電話に出て、
「もしもし、蛯沢です。・・・・あ−あ、野口幸枝さん」
 と、わざとフルネームで呼んだ。
 幸枝も生徒で、上野毛に住む主婦だった。
「・・・・・」
 伊沙子はちらっと彼を見る。


「今、内海伊沙子さんと一緒でね・・・・」
「―――」
 彼女は驚いてカッと両目を見開いた。
「わがままでね、困ってるんだよ。幸枝さんみたいに、大人になってくれればいいんだけど・・・・」
 と、彼は苦笑交じりに言う。
 電話越しに、女のけたたましく笑う声が聞こえた。


「・・・・・」
 伊沙子は口唇の端を歪めている。
「ところでどうしたの?・・・・食事?いつ?・・・・うん、いいよ。たぶん空いてると思う。当日の朝、もう一度電話くれる?」
 尊は伊沙子の存在などないかのように、会話をつづける。


「・・・・・」
 伊沙子の口元から、歯軋りの音が聞こえてきそうだった。
「・・・・では、また」
 尊は電話を切ってから、にこっとして彼女を見た。
                            つづく










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| 2008.06.06 Friday | - | comments(0) |